すこし難しい話の書きなぐり。
「知」っていうのは主に2種類あると思っていて、簡単に言うと「自分の知」と「他人の知」の2つ。
「自分の知」は「自分の意見」と置き換えられるもので、自分オリジナルな情報のことを指す。
「他人の知」はそれ以外の意見のことで、世間一般にあふれている情報のことを指す。書籍でも、ブログでも何でも。
これまで(Web以前)に重んじられてきたのは「自分の知」で、いかにオリジナルな意見を世の中に発信していくのかが、自分のステータスを高める上で肝になる部分だった。もちろん、今でも重要度は依然高い。自分の意見を言うことの出来ない人は、世間では認められにくい。
ただ、今後(Web以後)は「自分の知」のバランスが崩れてくるのではないかなと個人的に思っている。
そう思ったきっかけは、ここ1週間で聞いた2つの言葉から。
「最近しったかぶりする人が増えたよね」
「『それ聞いたことがある』って良く言うよね」
前者は打ち合わせ中での発言から。後者は直接自分に言われた言葉。
これらの言葉は、いわゆる「他人の知」を指していて、その場で具体的な説明ができないから、「しったかぶり」や「聞いたことがある」っていう言葉に結果として落とされる。
でも、今後(Web以後)の世界では、それでも構わないんじゃないかなと思う。
降り注ぐ情報量が圧倒的に増えた2000年以降では、入ってくる情報を全て格納し、自分の意見としてアウトプットするにはスペックオーバーな世界になってきた。
ただ、その代わりに検索やソーシャルブックマークを駆使することで、情報を自分なりに整理しつつ、いつでも取り出せる状態にしておくことが可能になっている。
つまり、これまでは「他人の知」を噛み砕いて「自分の知」化しつつ、人に情報を提供していたのが、「他人の知」をそのまま自分の情報として渡すことが出来るようになったということ。
もちろん、これまでと同じようにオリジナルな意見を持つことは大事で、それを見せることで自分ステータスが向上するのは間違いない。ただ、「他人の知」を整理しておくことで、いかに「自分の知」のネタをストックしておくことが出来るか、というのもWeb以後の世界では一つの重要な要素のはず。
と、書いていてこんな本を思い出しました。
